自治協議会より門松を飾っていただきました。ありがとうございます!!
皆様、よいお年をお迎えください。
「ZUMBA(ズンバ)サークルOrange」では会員を募集しています。ノリの良いリズムで身体を動かして、リフレッシュしませんか?1回きりの参加も可能です。ご見学お待ちしています♪
内浜小学校のホームページで、クリスマスバージョン“桜の木のオブジェ”が記事になりました😀 学校情報と合わせてご覧ください♪
福岡市立内浜小学校 :学校行事 子どもたちの様子の内浜校区フォトスポット12月 (fuku-c.ed.jp)
西警察署から、12月20日(月)に西区姪浜駅南2丁目の高齢者宅に厚生労働省を名乗る男から電話があり、銀行ATMに向かわせ残高を読み上げるよう指示されたとの情報提供がありました。皆さんお気を付けください!!
12月18日(土)
伊藤さんの祖父、伊藤半次さんが家族の元へ戦地から送り続けた絵手紙や伊藤さんが祖父の足跡を訪ねた沖縄慰霊の旅で考えたことを講演していただきました。伊藤半次さんは、中島町の伊藤提灯店の主として日本画を学んでいましたが、昭和15年9月に27歳の時に召集され、満州(いまの東北地方)そして沖縄へと転戦し、昭和20年6月18日(沖縄戦終結五日前)に32歳の若さで戦死されました。戦地から5年に渡って送り続けた絵手紙は約400通。どの手紙も文章や絵は明るく描かれています。伊藤提灯店は福岡大空襲で焼失したのですが、絵手紙は奇跡的に残されました。平成28年に来日されたオバマ大統領は、被爆者の方と抱き合い、広島を訪れた理由として「どの人もそれぞれ価値があり、誰の命も貴重なものです。…私たちはみな、人類という一つの家族の一員だということです。愛する人たちのことを考えるために。」と述べました。第二次世界大戦で日本の戦死者は約230万人民間人の死者は約80万人。私たちは、それだけ多くの方々の遺族や愛する人たちがいたことを忘れてはならないと思います。伊藤半次さんの戦死報告が家族の元に届いたのは、終戦から2年以上たってからで、遺族にとって昭和20年8月15日に戦争が終わったわけではなかったのです。沖縄の平和祈念公園の平和の礎には「伊藤半次」の名が、他の福岡県出身者4000人とともに刻まれています。家族と暮らす平穏な日々を夢見ていたからこそ明るい絵が描けたのではないかと伊藤さんは語られていました。参加者からは「大変わかりやすい」という感想を多くいただきました。
○戦時中の悲惨な情況の中にも、このような家族のつながりがあったのかと温かい気持ちになりました。
内浜公民館が、「よかトレ実践ステーション」に認定されました。第2金曜日と、第4木曜日の10時~10時30分の間に、ロビーでラジオ体操を行います。 皆さんふるってご参加ください。
【よかトレ実践ステーションとは】
福岡市では、介護予防に資する体操のうち、足元気体操や祝いめでた体操、黒田節体操など、6つの体操を「よかトレ」と名付けて推奨しています。これらの「よかトレ」を実践している団体を「よかトレ実践ステーション」として認定し、活動を支援しています。
先日、西市民センターで「西区青少年作品コンクール」の受賞式が行われました。内浜小学校の児童の皆さんです。おめでとうございます!!