2021年12月21日火曜日

人権講座

 12月18日(土)

「戦地からの絵手紙」
家族の絆、平和の尊さ
 
講師:伊藤 博文さん

伊藤さんの祖父、伊藤半次さんが家族の元へ戦地から送り続けた絵手紙や伊藤さんが祖父の足跡を訪ねた沖縄慰霊の旅で考えたことを講演していただきました。伊藤半次さんは、中島町の伊藤提灯店の主として日本画を学んでいましたが、昭和159月に27歳の時に召集され、満州(いまの東北地方)そして沖縄へと転戦し、昭和20618日(沖縄戦終結五日前)に32歳の若さで戦死されました。戦地から5年に渡って送り続けた絵手紙は約400通。どの手紙も文章や絵は明るく描かれています。伊藤提灯店は福岡大空襲で焼失したのですが、絵手紙は奇跡的に残されました。平成28年に来日されたオバマ大統領は、被爆者の方と抱き合い、広島を訪れた理由として「どの人もそれぞれ価値があり、誰の命も貴重なものです。私たちはみな、人類という一つの家族の一員だということです。愛する人たちのことを考えるために。」と述べました。第二次世界大戦で日本の戦死者は約230万人民間人の死者は約80万人。私たちは、それだけ多くの方々の遺族や愛する人たちがいたことを忘れてはならないと思います。伊藤半次さんの戦死報告が家族の元に届いたのは、終戦から2年以上たってからで、遺族にとって昭和20815日に戦争が終わったわけではなかったのです。沖縄の平和祈念公園の平和の礎には「伊藤半次」の名が、他の福岡県出身者4000人とともに刻まれています。家族と暮らす平穏な日々を夢見ていたからこそ明るい絵が描けたのではないかと伊藤さんは語られていました。参加者からは「大変わかりやすい」という感想を多くいただきました。

父は戦争に行って戻って来たけど、聞いてないのをとても残念に思います。

祖父、父が戦地に行った話を聞いて育ったので、改めて思い出すことがありました。

戦時中の悲惨な情況の中にも、このような家族のつながりがあったのかと温かい気持ちになりました。

○戦地でのことを父は話したがらなかったように記憶しています。母は原爆のことや苦労した当時の生活のことをよく話してくれました





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