「障がいと共に生きる」
清水 邦之さん
(福岡市身体障害者福祉協会 会長)
清水さんが車椅子生活になったのは、18歳の時バイク事故で転倒し、頚椎の圧迫骨折で首から下の機能不全におちいったことから。それでも、自己回復力で何とか歩けるようになり2ヶ月で退院。リハビリでは、プールで歩行練習を始め、水泳にも挑戦。障がい者スポーツ大会に出場。しかし、元気に走っていたことが忘れられず、事故から10年にして自分の障がいを受け止めることができたとのこと。
大学卒業後、障がい者を支援する福祉関係の会社に営業職として勤め、定年退職を機に、昭和25年に設立された福岡市身体障害者福祉協会で新たなスタートをきった。協会は、障がい者の集う場である各区のフレンドホームの運営に携わっており、障がい者の自立と社会参加、誰もが安心して暮らせる社会を目指している。
平成28年の「障害者差別解消法」施行をうけて、福岡市では、平成31年に「障がい者差別解消条例」を施行。この条例の正式名称は、「福岡市障がいを理由とする差別をなくし障がいのある人もない人も共に生きるまちづくり条例」。福岡市のバリアフリー化は進み、私たち障がい者は外に出やすくなった。例えば、地下鉄七隈線は、車椅子のまま車両に乗れるし、ホームの上り線は女性が、下り線は男性がアナウンスする。横断歩道も、視覚障がい者が渡りやすくするため、交通量の多い主道路(主に東西)を渡る時は「カッコー」が流れ、その反対(主に南北)は「ピヨピヨ」が流れる。聴覚障がい者のために手話通訳もつくようになった。ただ、障がいのある人は基本動かないという前提で設備は作られているので、傾斜があり段差の高い歩道では車椅子は通れない。ハード面の改善は進んでいるが、心のバリアフリーの解消が課題。福岡市のアンケートでは、障がい者差別解消条例があることを72%の人が知らない。
今、私は、障がい者スポーツ特にボッチャに取り組んでいる。昨年11月には、九州選手権座位部門で優勝できた。常に挑戦する気持ちが大事だと思う。困ることは移動する時なので、手助けが必要なんじゃないかと思う時には声をかけてほしい。
講演は、昭和54年に悪性腫瘍のために32歳の若さで逝去された井村和清医師の詩を朗読されて終わりました。
あたりまえ
こんなすばらしいことを
みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気をむねいっぱいすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりめのこと
こんなすばらしいことを、みんな決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、
それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ