2022年5月2日月曜日

ブラこうみんかん(番外編)

 姪浜炭鉱(早良炭鉱)の歩みと内浜 番外編

田川の石炭記念公園に行ってきました。姪浜炭鉱本坑にかつてあった二本の煙突が、昭和39年(1964)に閉山した、三井田川鉱業所伊田竪坑の跡地に保存されています。公園内にある二本煙突と竪坑櫓は、在りし日の筑豊炭田の姿を今に伝える、貴重な産業遺産です。

月を隠した筑豊のシンボル二本煙突
明治41年(1908)3月に完成。高さ45.45m。計21万3千枚もの耐火レンガが使われている。煙突基部の人と比べると大きさがわかる。煙突の前の12基のボイラーで作られた蒸気が捲き揚げ機に送られ、竪坑櫓のケージを上下させて、作業員と炭車を運んだ。
昭和26年に捲き揚げ機が電動に変わってからは、蒸気ボイラーは近くの病院や風呂への温水供給用に使われ、昭和39年の閉山で役目を終えた。

第一竪坑櫓
明治43年(1910)完成
高さ28.4m竪坑内径5.5m、深さ362m

人や炭車をのせて竪坑を上下した二段式ケージ
炭坑節にも「ケージにもたれて思案顔」と唄われている。

炭坑節は、昭和23年(1948)に田川で生まれた芸者歌手の赤坂小梅さんが唄った替え歌、三池炭坑版が大流行した。
「月が出た出た 月が出た 三井炭坑の 上に出た あんまり煙突が 高いので さぞやお月さん 煙たかろ サノヨイヨイ♪♪」
1962年に田川市と大牟田市の市長が会談し、「伊田を本家、三池を分家として手を打った」とか。
石炭記念公園を訪れ、炭坑節の説明版に触れると炭坑節が流れる。お年寄りが何度も触って、歌に合わせて手拍子をしていた。

石炭記念公園から見える香春岳とボタ山
中央の白い建物は福岡県立大学

公園内にある田川市炭坑・歴史博物館には、SLや炭鉱で使われていた大型機械、復元された炭坑住宅が展示されている。また、日本初めてのユネスコ世界記憶遺産に登録された「山本作兵衛コレクション」627点が所蔵されており、原画は必見です。