家庭をなくした子ども達に安らぎの場を
講師:木村 百枝さん
(ファミリーホーム運営)
これまで18人の子ども達を里親として預かり、今も6人の子ども達を育てておられる木村さんの心温まるお話でした。
里親になったきっかけは、えがお館(児童相談所)で夜間電話相談員をしていた時、里親を募集している側が、まずは「隗より始めよ」で里親になろうという呼びかけに応じたからだという。(結局は木村さんだけだった)
「お母さん」として、何名かの里子の方との関わりを話されましたが、西日本新聞「紅皿」に投稿されたものを紹介します。
【「お母さん、俺、コロナにかかったよ」と元気そうな声。里親として10年近くお預かりした青年からだ。軽症で、自宅療養中だという。実親とは縁薄く、連絡も取れないし取らないという。「ねえ、僕を産んだよねえ」としきりに確認する子だった。浴びるほど絵本を読んでやり、宝のようにかわいがって育てたつもりだ。小学校の頃、「おまえ、捨て子やろ」と言われたことがあったが「ちがうよ!」と平気な顔で答えた。しかし思春期の嵐はすさまじかった。何度も警察や家庭裁判所のお世話になった。今は鉄筋工として誇りを持って働いている。手伝いが必要な時は駆けつけてくれるし、仕事の話もしてくれる。鉄筋は夏はやけどしそうなほど熱く、冬は凍傷になりそうなほど冷たい。立派なビルを見るたび、何人の鉄筋工さんがどんなにかつらい思いをしただろうと想像できるようになった。あなたのおかげだよ。毎朝6時前に起きて弁当を作って現場に行くという。がんばれ!そして、実親さんのことも包容できる大きな人間になりますように。今は許せなくても、いつか許せることがあるのだから。】
木村さんの行動力を示したのが、里子への日常化したいじめに憤り、いじめていた生徒たちに反省を促すための手紙を担任の先生に託したことです。いじめは犯罪だと理路整然と説き、生徒たちを信じていじめないように訴えた熱意は、生徒たちの心に確かに届いたようです。
木村さんが里親になったのは「たまたまのご縁」と話されますが、お母様が障がい者向けのグループホームを運営されていたのを見てきたことが大きいのではないかと思われます。ホームレス支援で知られる北九州の奥田知志さんの「ともに苦しむ」がぴったりする生き方を実践されているようです。
木村さんは、月に一度の「子ども食堂」を運営されています。小学校での読み聞かせの仲間が、広島の中本忠子さんの子ども食堂を紹介するテレビ番組を見て、私たちも子ども食堂をやろうと呼びかけたことから始めたとか。フードバンクや地域の方々に支えられており、お米を買ったことがないとも。今でも「やりながら考える」試行錯誤の日々だという。
木村さんの暖かな包容力とその活動に大いに学ばせていただいた講演でした。