2022年4月9日土曜日

ブラこうみんかん(その5)

 姪浜炭鉱(早良炭鉱)の歩みと内浜 その5

炭鉱で怖いのは、落盤事故、坑内爆発、坑内水没です。その1でも紹介したように昭和17年には坑内爆発事故で36名の方が亡くなっています。また、昭和20年の福岡大空襲と枕崎台風による坑道水没は再起不可能とまで言われました。(排水に1年を要した)

(名柄排水口 “今は興徳寺ポンプ場” )
電信柱が見えるので電動ポンプと思われる

(昭和30年 鉱害による陥落池)
内浜1丁目西区役所付近
遠くに飯盛山と叶岳がみえる
古老によると子ども達の釣り場だった
(陥落池を埋め立てて建つ西区役所 昭和63年竣工)

(鉱害復旧土地改良記念碑)
下山門2丁目石見ホルモン店東横にある

記念碑には次のように書かれている


〇閉山後は、早良興業(現サワライズ)として小戸・姪浜地区で幅広く事業を展開している。不動産、早良病院、姪浜ドライビングスクール、鉄工所経営等。