2022年4月5日火曜日

ブラこうみんかん(姪浜炭鉱その2)

 姪浜炭鉱(早良炭鉱)の歩みと内浜 その2

福岡市とその近郊には姪浜炭鉱以外にも中小の炭鉱が存在した。


糟屋炭田の志免鉱業所は、唯一の国営として、海軍・国鉄の燃料用として採炭した。昭和39年(1964)閉山。国指定重要文化財の竪坑櫓は、深さ430mまでケージを昇降させた高さ47.6mの巨大なビルで、九州自動車道からも見える。

 糟屋炭田には、三菱勝田炭鉱(宇美町)、月隈(下月隈)、府内筑紫(東平尾)、蒲田(多々良村)、本香椎(多々良村)があり、宇美線、勝田線、香椎線で西戸崎まで輸送されて船積みされた。

 福岡炭田には、大正時代に鳥飼・麁原炭鉱、昭和20年代~昭和33年頃、福豊炭鉱(現田島2丁目住宅地)・田島炭鉱(現マイマイスクールとイオン)が操業していた。

志免鉱業所竪坑櫓